大国主命、国造りのパートナーは一寸法師?!

小さな神様の大きな仕事
大国主命は、御大の御崎(現在の美保関)で少彦名命(スクナヒコナ)と出会い、全国を巡って国造りをしたといわれています。
その少彦名命は手のひらに乗るくらいの小さな神様で、小さな船に乗って現れた姿が一寸法師のモデルになったとではないかという説があります。
この少彦名は大国主命の知恵袋ともいわれ、建国に貢献しただけでなく、医薬・まじない・酒つくり・温泉療法などに尽くした神様です。なかでも道後温泉や玉造温泉を開拓したともいわれ、全国多くの温泉地、神社でも祀られています。
国造りの後、少彦名はある日、粟の茎にのぼってはじかれ、常世の国に行かれました。常世とは海のかなたにあるとされた異郷で、永久に変わらない神域。死後の世界ともいわれています。

偉大な神様
大国主命は赤猪岩神社で命を奪われ、母神と三人の女神によって再生しました。再生したお姿は大変立派なもので、それまで大穴牟遅神(オオアナムジ)と呼ばれていましたが、再生後に大国主命となり、その後も数々の試練、再生を乗り越え、豊かな国造りをし、五穀豊穣・商売 繁盛・縁結びなど偉大な神として崇拝されるまでになっていきました。

重要文化財に指定されている日本一の権現造社殿


「国造り」ゆかりの地

粟島神社(アワシマジンジャ)
大国主命とともに国造りをした少彦名が祀られる地
大神山神社本社(オオガミヤマジンジャホンシャ
大神山神社奥宮(オオカミヤマジンジャオクノミヤ)
中国地方最高峰大山にあり、大国主命がここを拠点として見下ろしながら国造り計画をしたとのいわれの地


大国主とともに国造りした少彦名が祀られる



大国主神は、稀代のモテ男だった
神話「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」で有名な素戔鳴尊(スサノウノミコト)には須勢理毘売(スセリヒメ)と言う末娘いました。その須勢理毘売(スセリビメ)が大国主神に一目惚れしたといわれ、須勢理毘売の父親である素戔鳴尊の凄まじい嫌がらせがありながらも、かなり強引な結婚をしたとされています。

大国主命は美男だったとのいわれがあり、昔から「英雄色を好む」の言葉通り、大国主神は神話に出てくるだけでも6人の女神と結婚し、子をもうけ、その数は、古事記では180人、日本書紀では181人と伝えられています。
大国主神は稀代のモテ男、日本最古のプレーボーイだったのではないでしょうか。